西村先生の長年の標準化への貢献により,藍綬褒章が2000年11月に授与された.5年前に脳梗塞で倒れられ,半身が不自由な生活を送っている先生にとって何よりの授章であり,先生に連なるわれわれにとってもたいへんうれしい知らせだった.12月2日には東京農工大と標準化の関係者が集まり,西村先生のご家族とともにささやかなお祝いの会を開催した(写真7).西村先生の標準化のお仕事はCOBOLだけでなく,Fortran,BASIC,用語,漢字符号系などの規格作成,さらにJIS調整委員会でのチェックなど広範囲にわたるが,ここではCOBOLの業績を紹介する.
<写真7>藍綬褒章受章お祝いの会で西村先生を囲む標準化関係者(1)最初のCODASYL COBOLの翻訳から,第1次から第4次まですべてのJIS COBOL原案作成委員会に参加し,日本のCOBOL標準化をリードしてきたのは西村先生である.訳語の決定,厳密な翻訳とチェック,さらに委員会の組織化と運営などほとんどの作業をリードした.とくにその茶色鉛筆のチェックは「西村チェック」としてつとに有名である.
(2)第1〜4次すべてのJIS COBOL原案作成委員会のすべてを歴任しているもう1人は,植村俊亮先生である.植村先生は通産省電気試験所(電子総合研究所と改名)と東京農工大で,西村先生の後輩にあたる.2人の共著の「COBOL入門」[12]は30年間ですでに4回の版を重ねている大ベストセラーとして著名であり.韓国語の翻訳も出版されている.日本のコンピュータ書でこれほど息の長い本は他に皆無である.
(3)西村先生は1960年代から1970年代はじめにかけて,CODASYL COBOL仕様の仕様矛盾,規則不足,仕様記述のあいまいで解釈が2つ以上ありうるなど,言語仕様の品質不良を徹底的に指摘した.この手厳しい指摘により,その後のCOBOL仕様作成者の品質に対する意識が抜本的に改善された.このことは,CODASYL COBOLのまえがきに日本の貢献として特筆されている.これらの指摘手法は,プログラム言語仕様批判として確立され,「JIS COBOL全釈」[13]として出版されている.このプログラム言語の言語批判の手法は,COBOLだけでなく他のプログラム言語にも適用可能な普遍的な方式であり,先生のプログラム言語での最大の研究業績である.この本は,COBOL規格の表現に対する正しい解釈とあいまいさの指摘を主要目標とし,個々の規則ごとに詳しい注訳を記述しており,日本のCOBOLコンパイラ作成者のバイブルである.